カード
相変わらず、あくまでおいら的にですが
思うコトを書いてみたいと思います。
人にはまず自分自身があり、そしてカードで囲まれているとします。
自分自身と言うのは、まさに自分自身であり、ここでは核とします。
そしてカードと言うのは、容姿であったり、身体能力であったり、学歴であったり、資産であったり、まあ色々です。
冒頭でもモーしあげましたが、あくまでおいら的にですが、人を見る時にそのカードを全くスルーします。
カード、邪魔なんです。おいら的に。
まあ普通に考えれば、人付き合いするのに、自分自身を知ってもらう為と言う意味合いもあり、お互いにカードを切って行きます。勿論、気に入った相手にはよく見られたいでしょうから、特に初手のうちは壮絶なカードの切り合いにもなるかもですw
でもおおよその場合において、カードのほとんどは、いわゆる『外側』であり、その人の『核』と関係ありません。
そして、そのほとんどは永続性に欠けるものでもあります。
『核』とは、その人そのものであり、本質でもあります。それは、良い点も悪い点も全て含みます。
誰しもがコンプレックスを持ち、時には足掻いたりもしますが、そのコンプレックスのほとんどは『カード』に近いものであり、『核』とは遠いものなんだと思います。
おいらは良く、『内向きのエネルギー』と『外側のエネルギー』と言う風に、物事を考えます。
おおよそにおいて、万人に平等に与えられた唯一のものは『時間』です。その時間を使って、人は行動し生活をしますが、そのエネルギーを外側に向けて使うのか、内側に向けて使うのか?によって大きな違いが生まれます。
これが、おいら的にははとても大切なんです。
外側と言うのは、せっせと(消費)するコト。
内側と言うのは、しっかりと(蓄積)していくコト。
と言えばなんかお金のコトみたいですが、違いますよw
いくらお金があっても、いくら容姿端麗でも、いくらスポーツ万能でも、どこかのおえらいさんでも、スターだったりしても、それはそれで凄いかもですが、ここで言う『核』とは本質的に異なります。
プレゼントの中身と、ラッピング程にです。
それくらい誰でも分かるし、ちゃんと見てるよ。と言われるかも知れませんし、実際その通りかもしれません。
でも、やっぱり長い時間を経ていくと、結局『核』と『核』の繋がりなんですよね、人って。
ここまで行くと見えてきますが、『核』とは、その人自身と言うよりもむしろ、魂だとかココロと言う方がしっくりくるでしょう。
離れ小島とかで、二人だけで過ごせばイチバン分かりやすいかもしれませんし、なんか海外でよくそんな番組やってますよねw
本当に何にも無い状態で、誰かと二人っきりで過ごしたとして、それでも幸せでいられたとしたら?
それは、きっととても素敵でしょうね。
Sola初コラボw